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About Us

2014年、19歳の大学2年生が立ち上げたエルヴィス・プレスリーのファン・クラブです。

立ち上げた一番の目的は若い世代にエルヴィス・プレスリーを知ってもらうことがメインです。

エルヴィス・プレスリーを知らない若い方、従来のファンの方にも楽しんでいただける様な会報を目指します。

エルヴィス・ファンの方からのニーズに合わせ、2021年には古物商許可を取得。

ファンの方のニーズに沿う活動をして参ります。(神奈川県公安委員会 :  452490003597)

日本国内で私の様な若い世代のファンの数は決して多くなく、知名度も低くなりつつあり、例え知っていても誤解をしていることが多いというのが現状です。

→エルヴィスは決して恵ませた環境で育っておらず、白人ではありながら黒人文化に近い環境で育ちました。

 そのことが身体に染みついて行き、音楽的観点で言えば、ブルース、ゴスペル、R&Bなど当時は黒人文化でしかなかったものが自然と身体に染みついていました。

 

特に黒人ゴスペルの魂(ソウル)で歌う、感情、気持ちで歌うのがエルヴィスであり、そうなると自然に体が動いてしまう。それが音楽のルーツでした。

さらには当時、黒人に敬語を使うことはタブーでしたが、母グラディスの教えで目上の人には白人も黒人も区別せず、「サー」、「マム」と言い、人種を問わず敬語を使える人でもありました。その振る舞いは亡くなる時までずっと行っていました。

そんな人間だったからこそ黒人音楽と白人が触れてこなかったジャンルを自分のものとして表現でき、アメリカ文化、社会、そして世界の音楽を変えていったのです。

幼い時は、ヒーローコミックのヒーローに憧れ、有名になってからもガソリンスタンドで強盗を見かけた際は車を止めさせ、犯人に相手になろうと撃退。大統領に70年代のドラック・カルチャーに関する不安を文字にし手紙を書き連邦麻薬取締官にもなりました。

そして、病気を持つ子供のために金銭的に、そして物の提供も惜しみなく行い、1957年ハンガリー動乱の際は、テレビを通じ寄付を訴え、ポリオ・ワクチンも率先して摂取するところを写真に収めさせ、半年でアメリカ国民の摂取率を0.6%から60%まで激増させました。

ハワイの真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナの記念館の建設費用を一晩のコンサートの収益で約20%を集めてしまいました。

そのほかにもエルヴィスが人のためにしたことはあげてもキリがないほどありました。

 

そんなエルヴィスのことを日本では、もみあげにリーゼント、ロックンロールは不良の象徴、晩年の容姿。

さらには根拠なき「ドーナッツの食べ過ぎで死んだ」や「ヒラヒラのジャンプスーツ」など蔑んだようなことばかりが先に出てしまい、音楽的なこと、人間性という話が出てくることはほぼないのが現状です。

日本国内で私の様な若い世代のファンの数は決して多くなく、知名度も低くなりつつあり、例え知っていても誤解をしていることが多いというのが現状です。そのためには若い世代にもあのすばらしきエルヴィス・プレスリーを知ってもらい、ファンになってもらうためにも私は起業し、Elvis Presley Enterprisesとのコンタクトを重ね、来る2014年7月デビュー60周年という節目に活動を開始する次第であります。

 

 

私は母がエルヴィス・プレスリーのファンで有ったことがきっかけで、私も小学校5年生(2005年1月)からエルヴィス・プレスリーのファンになり、2007年1月に九段会館で行われた生誕祭で『Can’t Help Falling In Love』を歌い、湯川れい子氏から特別賞を受賞しました。

 

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